TINY MUSIC LIFE

音楽を仕事にする方法やビジネス論、考察や小ネタなどをお届けする音楽情報ワンパーソンメディア。by TINY RECORDS八木橋一寛

【My Favourite gigs②】 ソウル・フラワー・ユニオン at FUJI ROCK FESTIVAL '2000【フジロック】

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出しに【My Favourite gigs】とある通り、これまで様々なライブを観てきた中でも特に印象深く記憶に残っているものを思い出話を交えて書き記す事で、「音楽ライブって素敵やん❤︎」というサブリミナル効果を狙った企画の2回目。笑

 

前回1回目は、

↑このフジロック2010年でのマッシヴ・アタックでしたが、今回もフジロックでのライブ・パフォーマンスになります。

実を言うと、この企画用に思いついたライブを10個ほどリストアップしてあるのですが、今のところ全部フジロックでのライブです。苦笑

 

その位私にとってはフジロックの存在はラージ過ぎるのですが(サマソニの会社に入社経験があるので言いにくい話ではありますが、、、汗)、ライブを観て涙するという経験を初めてしたSOUL FLOWER UNION(ソウル・フラワー・ユニオン)の2000年フジロックでのライブを今回はピックアップいたします。

 

20年前の出来事なので、手持ちのスマホに当時の写真なども無く、記憶も多少あやふやなところもあるかもしれませんが、お付き合いいただけますと幸いです◎

 

 

舞台となったフジロック・フェスティバル'2000

私にとって2度目のフジロック

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フジロック2000のフライヤー画像

私は78年生まれなので22歳になる年の事で、前年に引き続き小学校から一緒の地元唯一の同じ音楽の好みの友人と二人で電車に揺られて行くことに。

もちろん、キャンプサイトで3泊4日という醍醐味をしゃぶり尽くすスタイルです。笑

 

この年は初日のヘッドライナーがBLANKY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)のラストライブだったり、二日目のヘッドライナーがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)だったりと3日中2日が日本人ヘッドライナーという今振り返っても珍しい開催でした。

 

この両バンドのライブも当時まだまだ若者だった我々二人には刺激的で刺さりまくりましたし、参加スタイルとしてもゆったり過ごすというよりは、「観たいライブは全部観てやる!」そんな意気込みだったので、かなりの数のライブを観ました。

 

都合10回強くらいフジロックには行っているのですが、99年とこの2000年は特に楽しかった記憶に溢れています。(これは内容だけでなく、自分自身が若かった事が大きいと思っていますが。)

 

クタクタに疲れてテントに二人で戻っても、夜中になると「ちょっとレッドマーキー行ってくるわ。」などと寝る間も惜しんでライブやDJを楽しんでいましたし、何せ普段から毎日一緒に遊んでいる親友と二人なので、全く気を使うことも無く、持っている音楽の知識もほとんど同じなのでライブ後の会話も非常に弾みます。

 

一言で言えば、べらぼうに楽しい時間を過ごしていたという塩梅です。

 

そんな開催の最終日、3日目のグリーンステージの大トリを飾ったのがソウル・フラワー・ユニオンでした。

 

SOUL FLOWER UNION(ソウル・フラワー・ユニオン)について

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ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴという2つのバンドが解散し、それが統合する形で1993年に結成されたミクスチャーバンド。

 

メンバー編成は多くの入れ替わりやサポートミュージシャンの参加などもあり、中川敬(vo, g, 三線他)、伊丹英子(g, 囃子他)、奥野真哉(kb)、高木太郎(ds)等は長年パーマネントな主軸メンバーとして在籍をしています。

  

日本の民謡やアイリッシュトラッドなどの民族音楽と、ロックを始めとするポップ・ミュージックと融合させた音楽性が特徴的。

 

これまでにライブ盤を含めると14枚のオリジナル・アルバムを発表しています。

 

終わりを受け入れられなかった感動的なライブ

当時のフェス・フライヤーを見ると、2日目のFIELD OF HEAVENのトリとして表記がされていますが、私が観たのは3日目のPRIMAL SCREAM(プライマル・スクリーム)の後のグリーンステージの大トリ、クロージングアクト的に登場した彼らのライブでした。

 

この3日目最後の出演をいつ知って観たのかが覚えていないのですが、たまたま観たのでは無く、知っていて楽しみに待っていたという記憶はあります。

 

というのも、1996年の3rdアルバム『エレクトロ・アジール・バップ』や1999年にリリースされたライブアルバム『ハイ・タイド・アンド・ムーンライト・バッシュ』は持っていて、それにハマってめちゃくちゃ聴き込んでいたので、多分前日に場内に貼り出しなどで告知はあったのかなぁと。

 

最終日もTOPLOADER(トップローダー)LEFTFIELD(レフトフィールド)IAN BROWN(イアン・ブラウン)そしてプライマル・スクリームと、好きなアーティスト目白押しでしたので、「フジロックから帰りたくないな。」という感傷はタイムテーブルが進行する度に思っていたように思います。

 

そんな中で始まったこの年のクロージングとして登場したソウル・フラワー・ユニオン。

あえて前方へは行かず、グリーンステージのFOHよりもずっと後ろの場所を陣取って観ることにしました。

多分、「最後は俯瞰した場所でフェスの雰囲気を楽しみたい」のように友人と二人で話して決めたのだったと記憶しています。

 

セットリストは流石に覚えてはいないのですが(ネット上で探しても出てきませんでした。涙)、大所帯編成で初見でも楽しめるピースフルな音楽性は、楽しみに待っていた我々だけでなく、聴衆全てを巻き込んでの熱狂がありました。

 

「海行かば 山行かば 踊るかばね」を全力でダンスして曲が終わった時には、友人と二人で寝転び、「帰りたくねぇなぁ。」と二人して涙しました。(青春してますね。笑)

※こちらはフジロック 2019の映像 

 

曲順はどちらを先にやったのかは覚えておらずですが、代表曲の一つでもある「満月の夕」は、そんな「帰りたくねぇ」と涙する我々青春コンビにはあまりの突き刺さり方を見せ、ライブが終わったあとはしばしの放心状態でした。

※こちらはソウル・フラワー・モノノケ・サミット名義での1999年の「満月の夕」ライブ映像

 

この時のライブが素晴らしかったのは勿論ではありますが、この時我々が感じた感動は、聴いた時期(年齢)やシチュエーション、それまでの流れなどがあっての体験だったので、残念ではありますが、おそらくもうこれから2度とは同等の感動はできないかもしれません。

 

しかしながら、この2000年と1999年のフジロックの体験によって、それまではアパレルの専門学校へ行ったりアパレルの仕事をしていた私でしたが、

「ファッションも良いけど、音楽を超える感動は無い。」

などと思い立ってしまい、以降は仕事まで音楽にどっぷりという人生へと足を踏み入れてしまいました。

 

ちなみに、このソウルフラワーユニオンのライブの後も朝までオアシスエリア(フードや簡易的なDJエリアなどのある場所)で遊んでいたのですが、たまたまフロントマンの中川敬さんを見かけてしまい、

「ライブめちゃくちゃ感動しました!ビール奢らせてください!」

と話しかけるという暴挙に出るというのも若気の至り。。。

「ありがとう!」と快く対応してくださり、一緒に写真まで撮ってくれて、一層大ファンになりました。("写ルンです"で撮ったと思うので、多分実家にその写真はあるはずなのですが、、、汗)

 

最後に

1回目をも上回る主観ゴリゴリの感想文という形になりましたが、「あのライブは時代への責任を背負う覚悟を感じる〜」などと書いてお勉強のようにして敷居を上げるよりは、今の自分のマインドとしては望ましいと思いまして。汗

 

この時の中川さんへの凸もそうですが、思い返すとこの頃の自分って、かなりの頻度でウロついているアーティトに話しかけまくっていて(鮎川さんとシーナさんにもフジで凸った話や、ビームスでトムヨーク見かけてサインもらおうとした話なども前に書いたと思いますが。汗)、今思うと自分でも驚きです、、、。

今は全くと言って良いくらいにアーティストとの接触願望が無いので、「昔からそうだったっけな?」と思う事もありましたが、そんな筈はない、最初はみんなそうなのですね。

 

前にこんな↓記事も書きましたが、

私が忘れてしまっていただけで、そもそも最初からミーハー心がない人なんていないのかもしれませんね。

 

という訳で、次回3回目もおそらくフジロックでのライブをチョイスする事になりそうではありますが、懲りずに読んでください。苦笑

 

ではまた明日◎ 

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