TINY MUSIC LIFE

音楽を仕事にする方法やビジネス論、考察や小ネタなどをお届けする音楽情報ワンパーソンメディア。by TINY RECORDS八木橋一寛

『ヒットの崩壊』国民的ヒット曲はもう生まれないのか?【書評・レビュー】

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薄汚い写真になってしまって恐縮です...

回は初の書評になります。

 

ユーチューブ大好きっ子な私としては、いっそのこと中田敦彦ばりにエクストリームしようかとも一寸過ぎりましたが、無許可で内容をあまり露出するのは嫌がる著者さんも多いとも思いますのでそれは却下。

 

興味深かったところや、皆様に共有したいと思った部分について、読書感想文的にしたためていきたいと思います。

 

「では、なんの本を?」

と言えば、見出しにもある通り『ヒットの崩壊』という、国民的ヒット曲というキーワードから、日本におけるこれまでのヒットソングの流れの振り返りやその考察が書かれた書籍となります。

著者は音楽雑誌やメディアをよく見られる方にはお馴染みの、柴 那典さん

 

過去に一度、バンドのインタビューに帯同した際にお目にかかった事があり、優れたインタビューをされていたので興味を持ち、この本を手にとってみました。

 

 

ヒット曲の定義とは


ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

まず前提として、本書は2016年10月に発行されたものになります。

その為、今本書を読む場合には、執筆された頃からすると4年後の未来を知った状態で読む事になります。

 

また、エクストリーム授業にならないよう、"章"を追ってではなく、読み終えた所感を本書の進行とは関係なく書いていこうと思います。

 

近年のヒット曲を問われ、即答をする事が難しくなっているという現状分析から書き出されています。

 

そして、本書におけるヒット曲の概念とは、”ヒット曲は時代を反映する鏡”と一貫して定義されています。

無論、私もそう思います。

決してCDセールスの枚数が多い曲を指す言葉ではないと考えています。

 

確かに4年前の2016年までの数年間は、パッと頭に浮かぶ近年のヒット曲は少なかったように思います。

しかし、本書が書かれた以降となる4年の間には、

米津玄師「Lemon」、Official髭男dism「Pretender」、あいみょん「マリーゴールド」と、セールスのみでは測れない影響度を持った楽曲が生まれたように感じています。

 

私個人としては、これらの楽曲を"国民的ヒット曲"の範疇と捉えているのですが、4年経った今、柴さんがどう感じているのか伺ってみたい所でもあります。(おそらくヒット曲だと仰るようには思っていますが。)

 

国民的ヒット不在の時代

とはいえ、私もこれらの楽曲のヒットを目の当たりにするまでは、

「もう2000年までのような国民的ヒット曲は生まれないのではないか?」

とも考えていました。

 

理由はテレビがメディアの王様から陥落した事と、スマホやSNSの普及による情報収集やメディアとの接触機会の多様化だと見立てていました。

 

実際に2015年あたりまでの数年間は、そう呼べる新たなヒットソングは思いつくものがほとんどありません。

 

「いや、あの曲とかあるじゃん!」

と思われる方もいらっしゃると思いますが、確かに私が国内のメインストリームの音楽に少々関心が薄いという事が理由で知らないだけかもしれません。

しかし、本書で言うヒット曲は、関心の薄い幅広い層に届いてこそだとも定義されていますし、私自身もヒット曲とはそういう事だと考えています。

 

データとして本書でリストアップされた2011年〜2015年のオリコンTOP5を見ると、2013年にEXILEが5位にランクインしている他は全てAKB48で埋め尽くされています。

 

確かにAKB48の楽曲の中にも本書で言うヒット曲に該当するものもいくつか存在するようにも思えますが、TOP5にランクインした多くの楽曲を私は知りませんでした。

 

本書ではこれまでに存在した"ヒットの方程式"として、テレビを中心としたメディアへの大量露出が挙げられています。

これも先に書いた通り、勿論同意見です。

 

過去にモーニング娘。のプロデューサーとしてセールス的なヒットを連発していた"つんく ♂"さんは何かでこんな事を言っていました。

「有線放送やテレビ、ラジオなどで、楽曲を複数回聴かせる事ができれば、多くの人はその曲を好きになってくれる。」

正確ではありませんが、ニュアンスとしてはこんな感じです。

少々乱暴に感じるかもしれませんが、私はある種の真理だとも思ってしまいます。

 

テレビがメディアの王様であった時には、極端に言えば、"ヒットしているアーティストが出演するのではなく、ヒットさせたいアーティストを出演させてヒットを作る"。

これも乱暴ですがそんな時代が長くあったと感じています。

 

そこまで乱暴には書かれてはいませんが、小室哲哉や宇多田ヒカル、AKB48などに触れ、そしてテレビやタイアップ、カラオケがそれに大きく寄与した事にも触れ、90年代後半にピークを迎えたCDのミリオンセラー連発の時代が振り返られています。

 

そして1990年代後半を境に減少を続けるCDセールスとMP3のような圧縮音源の台頭に伴い、オリコンに代表される"セールスチャート"が、ここで言うヒット曲とは乖離していった点が指摘されています。

 

例えば90年代のセールスチャートを見れば、その大半をヒット曲として認識する事ができますが、2011年以降CDセールスの上位を独占するAKB48の楽曲が、国民的ヒット曲という認識には必ずしもならない理由もこの為です。

 

オリコンのセールスチャートとビルボードの複合チャート

ヒット曲を知るチャートとして機能不全に陥ったオリコンに変わる新たなチャートとして、ビルボードの複合チャートを引き合いに言及されています。

 

アメリカで最も権威あるチャートとして知られるビルボードですが、2008年より日本版チャートの公開を行なっています。

 

この複合(バイラル)チャートは、単にセールスに留まらず、PCによるCDの読み込み回数やストリーミング再生回数、Twitterでのアーティスト名や楽曲名の投稿数までもランキング作成に加味されています。

論じるまでもなく、セールスチャートとどちらがヒット曲を浮かび上がらせる事ができるかは明白でしょう。

 

ライブ市場の拡大

このブログでも度々書いている、ライブ市場の拡大についても触れられています。

 

右肩上がりを続けるライブコンサート市場に対し、音楽ソフトの生産金額は2000年から2015年の間で半分以下に落ち込んでおり、「パッケージ売上に代わって、ライブが音楽産業の中心的な収益へ移行しつつあるのは間違いないだろう。」と触れています。

 

この要因の前提として、「体験はコピーできない」という表現が用いられています。

コロナ禍によって、多くのライブ関係者やファンが実感している事でもありますよね。

 

近年では散々論じられていますが、無料有料含め、これだけ音源のストリーミングが普及すると、CDやレコードといったフィジカルな作品所有はおろか、ダウンロードさえその役目を終えたように思えます。

この事を"所有からアクセスへ"としても書かれていますが、まさにその流れは本書が書かれた以降、さらに加速しています。

 

対して、ライブはコピーできずリアルでしか味わう事ができない為、その魅力が保たれ、加えて音楽フェスのアミューズメント化や大規模ワンマンライブのスペクタクル化も潮流の一つとして挙げられています。

 

実際に、近年ではほぼ全てのアーティストと言って良いほどに、収益ポイントを音源からライブにシフトしています。

そうなれば、かつてCD販売がそうであったように、ライブ市場の競争はより強まり、差別化や顧客満足度の向上の為、時間や予算がライブに割かれるのは必然だろうと思われます。

 

純国産ポップスの誕生と未来

J-POPの可能性

本書終盤では、"J-POPの可能性""音楽のヒットや未来"について書かれています。

この2章が読みどころだと感じましたし、特に後者は興味深く拝読しました。

 

近年のアーティストの中には、洋楽コンプレックスの無い国内の音楽だけを聴いて育ったアーティストの台頭を指摘しています。

 

これも非常に実感としてあります。

多くバンドマンなどの音楽アーティストと会話をする機会がありますが、確かに「洋楽を聴いた事がありません。」と会話の中で明言するアーティストは増えました。

音楽だけを聴いていると、洋楽の影響下にありそうだと感じるバンドでも、質問をしてみるとそうでは無いというケースは多々あります。

 

生粋の洋楽愛好者でコンプレックスも自覚している私などは、そんなアーティストと話していると、「これ聴いてみてよ。」などと余計なレコメンドをして困らせてしまう事も多々ですが、この事について本書ではポジティブなものとして触れています。

 

日本語ロックのオリジンとされる、はっぴいえんどから小室哲哉に到るまで、日本のポップミュージックは、長きに渡って発祥であるアメリカやイギリスといった海外のアーティストへのコンプレックスと憧れを抱えていたと考察されています。

それは、いわゆる洋楽に対して、追いつこう再現しようと模索する数十年であったのかもしれません。

 

そして、"洋楽に憧れない世代"の登場です。

海外の音楽を日本流に解釈しアレンジした先人達の音楽を、純粋に"素晴らしい音楽"としてだけで捉え、日本の音楽のみをルーツにしたアーティストを評して、「J-POPがオリジンになった」として触れています。

 

その一つの成功例として、BABYMETALの海外での成功も挙げています。

彼女達に限らず、オリジンに成り得たと考える要因として、別々のジャンルをかけ合わせるといった"ミクスチャー"という日本独自の解釈やカルチャーがJ-POPとして独自の進化を遂げたという解釈です。

 

このガラパゴス的進化によって、これまでの英米の音楽を日本にローカライズするという"輸入文化"から、"輸出文化"として広がっていく可能性に対し、著者の期待も寄せられています

 

私などは、ポール・ウェラーばりのピュアリストな面を良くも悪くも持ち合わせてしまっているので、正直なところ、日本の音楽のガラパゴス化をポジティブなものとして受け止める事が未だできずにいますが、こういった期待の寄せ方は非常に前向きで興味深く感じる事ができました。

 

音楽とヒットの未来

先に、私個人の意見として”ガラパゴス化”というワードを使ってしまいましたが、本書ではCD中心の市場維持の為にストリーミングへの抵抗を見せる事に対し、市場のガラパゴス化が嘆かれています。

 

CDプレイヤーさえ所有しない世代が増える中で、ストリーミングを拒むことはアーティストとリスナーの接触機会を喪失させるとして、"結果として音楽シーンの健全な発展を阻害している"とまで言い切ってくれています。

 

"くれています。"と書いたのは、これもこのブログで度々書いている通り、無論私も強くそう感じているからです。

 

CD市場を介さない海外のヒットアーティストの誕生例として、チャンス・ザ・ラッパーやアデルの成功を例に解説がされています。

 

SNS普及による多様化と細分化により、"ニッチ商品(ロングテール)"の時代が予見されていた中、アデル等のブレイクにより、それとは対局の"モンスターヘッド"の存在感が増したという全く別の未来です。

 

つまり、多様化を加速させるとみられたSNSが、「みんなが話題にしている」という異なる波及力を見せた証左という訳です。

 

これも当ブログで度々書いている"行列を作れ"や"人が集まる所に人は集まる"という理屈と同じく、細分化する一方で、何かのきっかけでバズを生み出せた場合には、雪だるま式にその話題を増幅させる事ができ、かつて以上に多くのリスナーにリーチする事が可能という事でしょう。

 

最後に(まとめ)

本書の締めくくりでも書かれていた通り、"ロングテールとモンスターヘッドが二極化した世界"というのは音楽に限らず全てのビジネスで確かに起こり始めていると感じます。

 

私は近年になってようやく、ガラパゴス化した日本が生み出したヒットポップスをリスナーとして受け入れる事が出来るようになってはきましたが、やはり根っこはインディーアーティストのマインドが生み出す音楽を好んでしまいます。

 

この二極化により、ヒット曲やヒットアーティストは生まれ続けるものの、その頭数は減少をみせ、一方では場合によってはかつて以上のビッグヒットが生まれるように見立てています。

対して、私の好むインディペンデントなアーティストが音楽のみで生計を立てていける割合は増加するのではないかという期待も抱いています。

 

という訳で、書き始める前に予想はしていましたが、案の定、5,000字を超える長文となってしまい、急に慌てて風呂敷を畳みだした感があるかもしれませんが、お腹も空いたのでこの辺で。

 

ではまた明日◎ 

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