TINY MUSIC LIFE

音楽を仕事にする方法やビジネス論、考察や小ネタなどをお届けする音楽情報ワンパーソンメディア。by TINY RECORDS八木橋一寛

エンタメ化へのマイナス感情と憧れ。アーティストの二極化への分岐点

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々な分野で思慮や推量がされている中間層の衰退による二極化。

 

収入で言えば、年収400〜600万円前後の中間層が減少し、高所得者と低所得差の格差の広がりが各所で予見されています。

例えばアパレル業界を見てみると、バレンシアガやルイ・ヴィトンをはじめとするハイブランドや、ユニクロのような低価格帯の小売店はなるほど好調のように見受けられます。

 

確かに、インターネットやSNSの普及・発達により、技術や知識などの情報共有が容易な時代となり、かつての「安かろう悪かろう。」という先入観もなくなり、低価格でも良い洋服は買えますし、安いお店だからと美味しくない食事を提供する店は近年ほとんど無いと思います。

そんな事から理屈でも二極化の流れはある程度の納得や合点もいきます。

 

見渡してみると、どの分野においてもこの二極化や格差の進行は見て取れる事が多いので、今日は音楽アーティストにもそれが当てはまるのかを考えてみたいと思います。

 

 

ライブ配信等の映像コンテンツによる収益化の可否

コロナ禍において観客を入れた音楽ライブコンサートは依然として完全復旧はみていません。

仮に、会場キャパシティ上限まで観客を入れた音楽コンサートが再開できるようになった場合においても、私個人の見立てではコロナ以前と全く同じようには有観客イベントが収益化する事は難しいのでは無いかと考えています。

(人気アーティストや人気フェスは問題ないかと思っていますが、コンサート業界全体の有観客公演の収益は落ちるのではないかと考えています。)

 

そう考える理由については、以前のインタビュー記事内でも触れている通り、コロナを経たいわゆるアフターコロナに入った場合でも、密集や接触を不安視する方々が一定数生まれてしまうと感じているためです。

チケットが入手困難になるような人気公演については、この一定数の不安視する方が生まれても、満員になる程度の来場需要をキープすることができるはずなので特に不安視はしていませんが、それに当てはまらない公演に関してはコロナ終息後であってもそんな心配のタネがあります。

 

一方で、アフターコロナを迎えても成長産業として期待値の高いのがライブ配信をはじめとする映像コンテンツからのアーティストの訴求や収益化です。

 

ライブ配信についてはこのブログでも度々考察や所感を書いているので、当ブログの検索窓に「ライブ配信」と打って検索いただけますと、多くの記事をご覧いただけますので是非参照ください。

 

そんな中でも分かりやすい例が、以下のサザンオールスターズの有料ライブ配信でした。

このライブ配信では、【3600円のチケットを18万枚セールス】しています。

国内に18万人を動員できる会場は存在しませんので、1Showで18万枚チケットを売ったことは、ライブ配信の集客が青天井である利点が活かされた好結果でした。

 

ただ、同記事内で私は以下のようにも書きました。

私個人的な見立てとしては、大きな知名度や人気をすでに確保しているアーティストはライブ配信にシフトすることで、より大きな収益を生める可能性が非常に高いと思いますが、逆に小規模会場で行うようなインディーアーティストにとってはかなり収益化は難しいのではないかと思っています。

理由は、以前書いた通り、小規模ライブハウスの持っていたアドバンテージは演者と観客の距離の近さによるところが少なからずあったと考えているので、ライブ配信ではそのアドバンテージを失い、ビッグアーティストとある種同じ土俵でリスナーの奪い合いをする事になると感じるからです。

この考え方は書いてから3ヶ月近くが経過した今も基本的には変わっていませんが、 少々補足的な考えもあります。

 

アーティストとして売れる売れないの定義はいったん度外視して、単に音楽活動で生計を立てていく事だけで言えば、ライブ配信でもアーティストの個性と方法を適切に見せる事ができれば十分に可能だと考えています。

 

理由は、数百人程度のコアファンさえ獲得できれば、演者のみが生活する程度の収益を確保することはそこまでハードルの高いことでは無いように考えているためです。

 

上記で引用した過去記事では「同じ土俵で〜」と書きましたが、音楽ファンの中には私も含め一定数、エンタメに寄りすぎた音楽アーティストをあまり好まない人も存在します。

そのため、演出や装飾、機材にかけられる予算はビッグアーティストに大きく及ばずとも、独自の音楽性や世界観を貫き通すアーティスト需要はキープされ、ライブ配信であってもそれを好む層は自ずと集まるように感じています。

 

また、コアファンが存在すれば、ライブや音源以外からでもいくらでも収益設計が可能です。

 

ですので、小規模会場を主戦場にし、独自の音楽性や世界観を持ったインディーアーティストについては大きな影響を受けず、場合によってはライブ配信などの映像コンテンツにより、ファン拡大を図るきっかけが単純に増える好機と捉える事ができるのではないかと思っています。

 

しかし収益の格差という意味では、ビッグアーティストがライブ配信という青天井の収益モデルを見つけたことで、有観客ライブもソールドアウトさせた上で、ライブ配信でもマネタイズをするという収益のさらなるスケールを見せるでしょう。

 

本テーマの"二極化"が当てはまるかを考えてみると、ライブ規模で言えば1,000〜3,000人動員付近が中間層になるように思っていますが、この辺りの動員規模のアーティストがどうなるかには注視したい所です。

 

ここまでの話で言う独自性のあるアーティストについては、問題なくこれまでの人気をキープまたはスケールする事も可能であるように思えますが、エンタメ寄りの表現をしているアーティストにとっては行き詰まりの生まれる可能性も僅かですが感じています。

それこそまさにビッグアーティストと「同じ土俵で〜」という構図に当てはまりそうでもあり、一定数の淘汰が起こらないとも言い切れません。

 

また、有観客ライブ開催時の会場キャパシティやチケット代設定も見直しがあるかもしれません。

ライブ配信で一定の収益が見込めれば、ソールドアウトに届く保証のない広く高額な会場をわざわざ使用するよりも、縮小したキャパシティの会場で会場使用料をコストダウンし、チケット料金でバランスを取りつつ無理のない公演を切るアーティストも出てくるように思っています。

(特殊な演出等で大きなステージサイズを必要としないのであれば。)

 

かつてのように単純に音源のセールス数のみでアーティストの規模を測れない現在では、単独公演時の会場規模で語られることも増えました。

更にライブ配信が進んだ場合には、それさえも人気や規模のバロメーターにはなり得なくなるのかもしれません。

そういう意味では二極化や格差というよりも、アーティストの価値や活動の多様化が進み、一概にアーティスト規模の大小を語れない時代になるのかもしれませんね。

 

いずれにせよ、当面はライブ配信や映像コンテンツで収益化が見込めるか否かにアーティストの生み出す収益は左右されてしまいそうではあるので、私の結論としては、

「すでに勝ちきっているビッグアーティストは配信により更に売上を伸ばし、独自性の強いインディーアーティストであれば一定のコミュニティ内で更なる収益化が可能。」

といった所でしょうか。

 

スケールしていく中で必要に迫られるエンタメ化への葛藤

今日現在の様々なエンターテインメントを見渡してみても、多くのファンが演者に求めるパーソナリティーやキャラクターに大きな時代の変化を感じます。

 

例えばお笑いに目をやると、かつて誰からも"天下を取った"と目されていた(マイ・レジェンドの)ダウンタウンなどはムスッとした表情で愛想のない、またコンビ仲も悪いとは見られていないまでも、楽屋も別々でお互いの電話番号すら長年知らないというのは良く知られた話です。

しかし、近年では元気で愛想も良く、良好なコンビ仲を際立たせたコンビが人気の主流になっています。

 

これは音楽アーティストにも個人的には感じている流れで、フェス市場を大きく支えている"邦ロック"とカテゴライズされているアーティストの多くも、SNS上でメンバー同士の交流を見せたり、明るくユーモラスなパーソナリティを求められている傾向を感じます。

 

一方では、私の青春時代にシーンを席巻したブランキージェットシティやミッシェルガンエレファントのような無骨で愛想のないアーティストを、近年の若いアーティストではあまり見た記憶がありません。

 

SNSの使い方を見ても、アーティストからは決して誰もフォローをしないというスタンスは前時代的な硬派でラギッドな手法ですが、「公式感」や「ストイックさ」は今の時代にはあまりフィットしていないように感じています。

 

私がこの変化を実感したのはMAN WITH A MISSIONの登場あたりからで、最初期にはTwitterで彼らの方から多くの音楽ファンをガンガンフォローをしていましたし、おそらくフォローバックも丁寧にしていたと思います。

人気に火がつき始めてからは、フォローの増えるペースが早まり過ぎてフォローバックはそれからはしていないと思いますが、当初フォローしたファンをリムーブ(フォロー解除)するような事もしていません。

(なので私も確か今もフォローされたままですし、その事をとてもカッコイイと思いました。)

 

これは一例で数年前の話ではありますが、当時とても「新しい」と感心しました。

 

かつてはアーティストは手の届かない遠い存在のように感じていた面もあり、Twitterの台頭でその距離は縮まったようでいても、そんなイメージは健在でした。

おそらく多くのアーティストや関係者は、公式アカウントはファンをフォローするものじゃないし、「そんなやり方ダセェ。」と考えていたようにも思います。

 

しかし、今となっては当たり前に思えますが、フォローやフォローバックをする事で、一人でもより好きになってくれたり、一人でも多くの人に情報が届けられる訳ですからしない理由が見当たりません。

損をすると言えば「なんかダセェ。」というプライドが傷付くくらいのもので、そのほかはメリットしかありません。

 

時代的な変化によりファンからの需要も、クールで手の届かない「公式感」よりも、「身近」や「親しみやすさ」にシフトしています。

これは「応援したい。」、「応援しやすい。」というファン心理に触れやすいと言い換えられるかもしれません。

 

そんな理由から、「売れたい。」をファンの数や収入面で定義して活動する場合においては、この「なんかダセェ。」のプライドは捨てるのが近道ではあるのではないかと思っています。

 

なかなかこの点が複数のメンバーがいたり、関係するスタッフがいると統一が難しいところなのは事実で、そんな意味もあり以下の2つの記事も過去に書きました。

音楽業界は「セルアウト」や「モンキービジネス」などと揶揄されるように、2000年初頭までに肥大化し過ぎてしまった為、エンタメや商業に寄せ過ぎた活動や音楽性はピュアリストであるほどに反発心が生まれると思います。

(何しろ私が相当なそちら派なので。。)

 

ただ、アーティストが達成目標を認知度や収益に求めるのであれば、私の願いはそれを達成する事なので、本当にやりたい事はそれを達成した後からでも可能だと思っていますし、そのほうが価値があるとさえ思います。

 

私が良く例えで、

「レディオヘッドはOKコンピュータまでの3作品(およびそのプロモーション)があったから、以降の作品も多くの人に聴かれている。」

と言っているのですが、4作目の「KID A」がデビュー盤だったら、きっと今のようなビッグアーティストにはなっていなかったでしょう。

3作目まででギターロックの頂点に立った事で、それ以降のエレクトロミュージックへの傾倒が一際の価値を持ち、何より多くの人に聴いてもらえる理由となったはずです。

 

あれほど売れたアーティストだからこそ、売れたのちにそのファンベースを使い多くのリスナーに対し、独自のアーティスト性を追求した作品をリリースし続けている事が、私自身が最もレディオヘッドが偉大だと思う理由だったりもします。

 

最後に

音楽業界は広くエンタメ業界に分類されていますが、エンターテインメントとは「人々を楽しませる娯楽」と定義されています。

一方で、アーティストという呼称が示す通り、ミュージシャンは芸術家でもあります。

 

結局、この異なる2つのカテゴライズを併せ持ってしまう事が、ミュージシャンの永遠の難題であるかもしれません。

 

今回のテーマに沿うのであれば、二極化が始まるとしてそれを意識するのなら、エンタメをやるのかアーティストをやるのかを明確にすべき分岐点を迎えたという事かもしれません。

(そんなテーマでは書き始めましたが、音楽の場合は二極化というよりも、途中で書いた「多様化」が考えてみてしっくりきました。)

 

かつてのように、「大量の露出さえしていれば勝手にファンが付いてくる」ような時代では少なくとも無いとでしょうし、これからは更にファンの応援や支援が必要になってくるはずです。

 

演者側がこの定義や指針を明確にする事で、ファンもより応援がしやすくなるとも思うので、今一度アーティスト側は「やりたい事はエンタメなのか芸術なのか」、ファンの側も「追いかけているミュージシャンが目指しているものは何なのか」を立ち止まって考えてみても良いかもしれません。

 

目標は鮮明に立てるほどにやる気も出てくると思いますので。 

 

ではまた明日◎ 

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