「それは極論だよ。」
という言葉を皆さんはどのくらい言われた事があるでしょうか?
私は少なくとも100回以上あります。
これ、肯定としてではなく、それを言った人に対しての否定や抵抗として発せられる言葉な訳ですが、その都度、「極論だよ。」は抵抗として意味を成していないと感じ続けています。
今日は直接的な音楽関係の話ではありませんが、仕事をする上で割合考え方のタネになるような話でもあると思いまして、そんな"極論"の話を書いていきたいと思います。
抵抗や否定としての機能不全
最初に、何故「極論だよ。」という切り返しが抵抗や否定の意味を成していないと感じるかについて書いていきます。
極論という言葉の意味を調べると
極端な言い方や論じ方をすること。また、そのような議論。
引用:コトバンク
とあります。
まさに私もこの通りの意味でこの言葉を捉えています。
「極論だよ。」
と言った相手がその意見への否定としてこの言葉を使った場合、この通りに言い換えると、
「極端な言い方をしているよ。」
となります。
このブログでもおそらく度々、「極論を言えば」のように"極論"という言葉を私は好んで使っているかと思います。
その前置きが無かったとしても、"極論"と分かった上でその論を書いている事も多々あります。
ですので、「極論だよ。」という切り返しは、私にとってはまさに意図した通りなので、"相槌"でしかありません。
ですが、それを否定のつもりで言われる事が多々あります。
何故そんな事が起こるのかと考えてみると、抵抗や否定をする意図で"極論"を指摘する人の多くは、"極論"を"暴論"と取り違えているのではないかと推測しています。
「暴論だよ。」と言われれば、こちらは意図して暴論を吐いていないので、これは暴論ではなく極論だという説明をするだけで済みますが、相手が取り違えていると少々厄介です。
極論そのものは、文字通り極端な言説や表現をしているに過ぎない為、その事自体は誤った事でも否定されるべき事でもありません。
そんな話から説明をして納得をしてもらうのは本当に骨が折れますし、何より時間の無駄な消費になってしまいます。
極論を好んで使う理由
問題解決の為に
「そんなに骨が折れて誤解や時間の無駄を感じるのであれば、極論を提示しなければ良いのでは?」
とも思われるかもしれませんが、私は物事を考える際に、ことさら極論を大切に考えています。
プランニングや問題解決をする際、まずはどういう状況かを明確に捉える必要があるはずです。
私は極論の説明をする際に、こんな例えを良くします。
「極論とは、混ざりあって何色が使われているか分からない状態から、それぞれを分離して何色が使われているかをはっきりと分ける作業です。」
十分これで伝わったかとも思いますが、念の為少し補足します。
緑色という問題があったとして、何故この色が生まれたのか分からない状態があるとします。
この緑色をずっと眺めていても、話が進まない状況を議論や検討しやすい状態に変える為に、「青色と黄色がその正体です。」と分ける事で、問題点や本質が浮かび上がってくるという寸法です。
散々言われている割には、これと言って具体的な言われた実例が今すっと思い浮かばないもので、イージーな例題を一つ無理やり作ってみます。
- Aさん「これまで500円で販売していた商品を今後は400円に値下げしようと思う。」
- Bさん「だったら思い切って半額の250円にしてはどうだろう?」
- Cさん「そこまで下げるのなら無料はどうでしょう?」
- ABさん「それは極論だよ。」
ちょっと例題がいい加減すぎて自分の首を締めた感触もありますが、このまま突き進んでみます。笑
この議論している商材がどんな商品であり、他に商材を持っているかどうか等にもよりはしますが、仮にこれが、
「売れていないので価格を下げよう。」
という議論であったならば、私はCさんの意見は検討すべき提案だと感じてしまいます。
何故なら、その商品が売れていない原因が、
- 価格が高いからなのか
- 認知されていないからなのか
- 品質が悪い、又はそもそも必要とされていない商品なのか
これをはっきりとさせる必要があると思うからです。
価格以外に全く問題がなければ確かに100円下げて適正価格になるのであればそれで問題は解決です。
認知が足りない為であれば、100円下げた程度では話題にもなりませんし、そもそも価格の問題ではありません。
しかし、"半額"や"無料"であれば、その破格さをトピックとして認知を取る事に繋げる事ができるかもしれません。もちろんこの場合、無料の方がインパクトがあります。
品質が悪い又は必要とされていないようであれば、無論半額にしても必要とされませんし、無料でも誰も受け取らないかもしれません。
更にの極論になりますが、無料にしてもその商品がハケないようであれば、その商品そのものに問題があることにハッキリと気がつく事もできるでしょう。
ちょっと強引な例題にはなってしまいましたが、そんな具合に問題点を明確にする手段として、極論は非常に有効だと考えているのです。
発想のタネとして
いわゆる開発や企画屋の類の仕事であれば、そのタネとして極論はその価値を高めるように思っています。
ここでも分かりやすく早速、例え話を一つ。
孫正義やスティーブ・ジョブズが若き日に頼り教えを請うたと言われる稀代の技術者にしてSHARP(シャープ)元副社長の佐々木正氏にまつわる有名なエピソードとして、アップルマンゴーの話があります。
その自由で際限の無い発想の数々から「ロケットササキ」の異名を取るほどのアイデアマンであった氏は、その発想や開発のルーツとして、高校の卒業研究として取り組み実現させたリンゴとマンゴーの品種改良により生まれたアップルマンゴーを挙げています。
寒冷地のリンゴと南国のマンゴーという両極にある品種を掛け合わせるという発想は、"無謀"と切り捨てるのは易いですが、だからこそ実現時に価値を高めるはずです。
少々話は脱線しますが、iPhoneやスマートフォンに至っても、"Phone"という電話としての需要以上に様々な用途が詰まっています。
何故これだけ必要とされ受け入れられた理由を考える為には、漠然とスマホを眺めていても紐解くことはできません。
「カメラやアプリがあり音楽や映像コンテンツも楽しめて、ブラウザ対応もしていてワンハンドで持つ事ができるサイズ、しかし名称はフォンで...。」
のように構成要素をバラバラに引き離す事で、それが何であるのかが見えてきます。
話を戻しますと、往々にして相対する、相反する物の組み合わせというものは魅力的な形を生みやすいと思えますし、良く言われる「逆に」の"逆"も、極論の"極"を捉えていないと成立しません。
そう考えている為、企画を立てる場でも意識的に私は"極"や"逆"を考えたり、極論を述べたりしています。
例えば、
「前回のプロモーションではメディア露出に費用を投下したけれど良好な結果を見なかったので、次はそれは捨ててクオリティ向上に予算を全て使おう。」
みたいな事も言いますし、何度かこのブログでも触れている、
「音楽業界だけで完結するのではなく、異業種に音楽の価値を買ってもらう動きを心がげている。」
というのもその一つです。
音楽を自分が好きになった動機や好きであり続けている理由を極論でバラバラに解体した時に、ファッションやお酒、そして人との出会いなどがその理由として見えてきましたし、それであればそれらとのマッチングは可能だと考える事ができます。
言わずもがな肌感で分かる場合も多くあったりはしますが、言語化して理解しておくのと漠然と感じているのでは、結果に大きな違いがあると考えている事も補足をしておきます。
最後に(まとめ)
冒頭に書いた通り、「極論だよ。」をあまりに良く言われる為、その説明にこの場を借りてしまった感はありますが、これはこれで今度は「偉そうに何様やねん!」という新たな否定を受けるリスクが発生してしまった気がしています。苦笑
政治的価値観の違いが人間関係トラブルに直結するという"日本人らしさ"にも思ってしまう事ですが、「何様」ではなく「考え方の主張」なだけなので、自分と考えと異なるからと言ってカッとなるのはナンセンスだなぁと思ったりもするのですが、これはこれでまた煽っているように受け止められてしまうのですかね。。。
何にしても、この記事の主眼は
「私は極論は正しく使えば有用だと信じているのですが、如何でしょうか?」
という事で、「なるほどいいじゃない◎」と思ってくれた方は、ぜひ極論を一緒に使いこなしていきましょう。
ではまた明日◎
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