TINY MUSIC LIFE

音楽を仕事にする方法やビジネス論、考察や小ネタなどをお届けする音楽情報ワンパーソンメディア。by TINY RECORDS八木橋一寛

美術の歴史から学ぶ未来の音楽のあり方

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「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

ドイツの政治家オットー・フォン・ビスマルクの言葉だそうです。

 

私が生きている間だけでも、レコードからカセットテープやCD、MD、音源のダウンロードやストリーミングへと音源フォーマットは変化し続け、コロナショックによりライブ会場に集まってライブを楽しむという当たり前も揺らいでいる今、

「音楽業界の将来はどうなるのか?」

「未来に備えるにはどうしたら良いのか?」

という事を経験ではなく歴史から学んでみようと思ったわけです。

 

歴史と言っても今回は音楽の歴史からではなく、同じく芸術として括られる"美術の歴史"と重ねて考えていきます。

 

「歴史に学ぶ」

と頭の中で考えた時に、どうもその方が学ぶにはフィットすると思ったのです。

 

結論めいた答えが出せる訳でもありませんし、少々強引な解釈も入ってしまうと思いますが、”考えるタネ”として読んでもらえれば幸いです。

 

 

美術の歴史を音楽に置き換えた仮説

ここからは、音楽の変化を美術のこれまでの歴史となぞらえて、ヒントになるものはないか探していきます。

ちなみに、私は美術マニアではないので、調べて書いてはいますが多少の認識違いなどはあるかもしれませんのでその辺りはご容赦を。。。汗

 

ルネサンス〜19世紀(選ばれし者の為の芸術)

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ルネサンス以降、絵画の評価はリアリティーに求められました。

時代的にはまだ写真機もなく、自分の姿を残し記録や展示をするには、より写実的なタッチによる肖像画が需要を高めたという事になります。

 

そのひとつの原点であり頂点としてレオナルド・ダ・ヴィンチの名が挙がり、今尚続く「絵が上手い=リアルな絵」という概念はここにあると言えそうです。

 

この時代を音楽に置き換えるなら「クラシック音楽」が適当のように感じます。

時代的にも重なる事もありますが、何より概念として"完成された隙の無い芸術"である事や、特別な訓練を積まないとその世界に踏み込めない点にも共通する印象があります。

 

オーケストラとなれば、その楽器ひとつひとつのパートを一人の作曲家が作り上げ、演奏は各楽器のスペシャリストが行います。

ダ・ヴィンチのようなリアルな絵画も同じく、特別な才能や訓練を経ずには描けないスペシャリストのみが参入できる芸術だと言えるでしょう。

 

芸術家のマネタイズについては、現在のように多くの顧客を対象として物ではなく、限られた権力者などのパトロンがその対象となっています。

 

20世紀初頭〜(芸術が全ての人のものに)

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20世紀に入ると写真機(カメラ)が登場し、写実的なリアリティーの価値が揺らぎます。

 

いくらリアルに描いても、写真に勝るリアリティーはありません。

絵画の存在意義が根底から揺らぐ中、そこで生まれた芸術家の写真への対抗策とも言える価値観が、カンディンスキー等を筆頭に台頭した抽象絵画です。

ピカソに代表される「キュビスム」も広義にはこれに含まれるそうです。

 

1枚の絵という平面に多角的な視点を落とし込んだピカソや、人物も風景も具体的な物は何も描かれていない作品、目に見える色を無視した作品など、簡略化や多面的な解釈を加える事により、これまでのリアリティという良し悪しの概念を覆しました。

 

この時代を音楽に置き換えるなら、ギターやベース、ドラムなどを使ったバンド音楽の台頭を当てはめる事ができそうです。

 

抽象画家の全ては、おそらく写実的な絵画を描く事もできるとは思うので、完全にしっくりは来ない所はありますが、アウトプットされた作品だけを観れば「私にも描けそう。」という気持ちは起こります。

 

例えばピカソ自身の名言のひとつに、

「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」

という言葉があるそうです。

 

これは私の私見なので断言はしませんが、特にロックバンドの最大の魅力や発明は、誰でも表現者になれる可能性を示した事だと思っています。(同時に大衆全てが楽しむ事を許された事も。)

 

バンドももちろん練習は重ねた上で世に出てくるものではありますが、大編成のクラシック音楽のように多くのパートを楽譜に落とし込む能力や徹底的な演奏訓練が無くとも、いくつかのコードを覚える事で芸術家側になる事が可能です。

 

概念のアップデートへの挑戦という意味では、ジョン・ケージなどの現代音楽やノイズミュージックの作品群に類似性を感じやすい気もしますが。(ジョン・ケージの「4分33秒」とかモロですしね。)

 

 

20世紀中期〜(新しい価値の創出)

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1950年代あたりになると、アンディ・ウォーホルによりアートの概念が更に更新されます。

 

ウォーホルは、市販の洗剤パッケージやスープ缶のデザインを、手描きではなくシルクスクリーンで印刷してアート作品として提示しました。

 

手描きではないシルクスクリーンという手法はもはや絵を描いてさえおらず、商品パッケージという芸術のために作られてはいない物をアートと言い切った事がイノベーションだった訳です。

 

従って、肝は「何を以ってどこまでをアートと捉えるのか?」という"芸術の境界線の破壊"だったかと思いますが、"他者が作り上げた物に新しい価値を与える"という意味では、ヒップホップに置き換えても大きな違和感はないように思えます。

 

言わずもがな、ヒップホップの発明は、楽器を使用せずに過去の録音物(レコード)と声(マイク)だけで音楽創作を可能とした点にあります。

この点だけで言えば、完全に重ねた解釈ができそうです。

 

芸術家のマネタイズについては、音楽についてはこの時期あたりから完全にパトロンからは脱却し、作品を大衆に向けて販売したりライブコンサートを行う事で現在まで続く大きなビジネスになっていきました。

 

美術家については、かつてはパトロンの為に作品を描く事で報酬を確保し、のちにその作品が評価をされ価格高騰を見せるようなカルチャーから、大衆に向けた芸術活動を行い、存命時にその評価を受け作品を販売できるようにシフトしていったように思います。

 

21世紀〜(金銭価値の破壊)

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2000年以降になるとストリートアートの存在感やその価値が飛躍的に高まりを見せます。

 

中でもBANKSY(バンクシー) は意識的に概念の更新に挑んでいるアーティストのように思えます。

 

作品としては、ストリートの壁面や木板などにスプレーを使うステンシル技法を用いた絵画とも印刷とも異なるアプローチになります。

 

作品に込められたメッセージとしては、反資本主義や風刺、皮肉で知られていますが、この延長線上には"アート作品の金銭価値の破壊"もあると言えるでしょう。

 

オークションで作品が1億5000万円で落札された直後に、自身で額に仕込んでいたシュレッダーが作動して作品を裁断してしまった事や、自身の作品をストリートでたった60ドルで販売した事も話題になりました。

 

バンクシー監修のもと期間限定で開かれたテーマパーク「ディズマランド」では、園内には持ち帰り自由、ただしバンクシーの作品かどうかは分からないというアート作品を点在させていたそうです。

 

これらの作品の金銭価値を破壊(放棄)する活動や、未だその姿や名前などを隠し続ける匿名性も大きな個性のひとつになります。

 

そもそもバンド音楽が広まりポップ・ミュージックの時代が幕を開けた時点から、音楽の金銭価値はCDならこのくらい、ライブチケットならこのくらいという、おおよそ等しい金額でその収益を上げてきました。

 

「おおよそ等しいなら価格破壊も無いかな。」

と一度は思ったのですが、YoutubeでのMVやライブ映像の公開や、低価格な音楽配信サブスクリプションサービスの台頭に類似性を求めるのはいささか強引でしょうか。。。?

 

視聴環境を考えてみると、Youtubeなどの動画は演奏者の顔や名前を認識した上で聴く事になりますが、サブスクに関してはプレイリストをメインに聴くとすれば、「誰の曲か分からない」状態のまま音楽を楽しむ人も増えているようです。(自分の場合は流石に気になれば誰の曲か確認しますけど。苦笑) 

 

まとめ

音楽ビジネスは60年代以降、あまりにも巨大なビジネスに膨れ上がった為、その利権を保とうとする者により、良くも悪くも大きな変革は足止めされてきたように私は考えています。(コピーコントロールCD、著作権管理団体、サブスク参入への遅延等々)

 

そうだとすれば足止めがあった分、進化や変化に遅れが生じるでしょうし、

「だとすると先に進んだ他の芸術の流れから何か教えがあるのでは?」

と思ったのが今回の記事の発端となった訳です。

 

仮にバンクシーを、”匿名性を持ちつつ、作品そのものの金銭価値をも破壊するアーティスト”という側面から解釈するのであれば、音楽作品やその活動の訴求方法もそこにヒントがあるのかもしれません。

 

逆に歴史が遡って、”素晴らしい音楽を作るアーティスト”という価値を、企業や個人の集合体(定額課金等)から直接大きな収益を作るパトロン的なマネタイズへ原点回帰があるのかもしれません。

 

今回は全くゴールを設定せずに書き始めてしまったので、投げっぱなしジャーマンのような美しく無い着地になりますが、冒頭に書いた通り、考えるタネとして、又は単純に読み物としては及第点かなと自分を甘やかして締めさせていただきます。

 

考え甲斐はまだあるように思ったので、もうちょっと煮込んで美味しくご提供できそうだったら、またこの続きを書ければと思います。

 

ではまた◎ 

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