ただでさえ、考察や評論は重めな内容になりがちな中、コロナ禍となると更にそのずっしり感は増してしまいます。
仕事として真剣に取り組むのであれば、そのずっしり感から目は背けない方が良いとは思いますが、夢や希望がないとしんどいのは確かです。
「読んだ人がモチベーションにもなりそうな楽しい話はなかったかな?」
と、ぼんやり思いながら散歩をしていてふと思いついたのが、”憧れのアーティストとお酒を酌み交わした話”。
思い返すと、いちリスナーとして大ファンだったアーティストと、話をしたり飲んだり仕事をする機会は、幸運な事にこれまでかなり多くありました。
中でも、オールタイム・フェイバリットであるグラスゴーのギターロック・バンド、TEENAGE FANCLUB(ティーンエイジ・ファンクラブ)のフロントマン、ノーマン・ブレイクと飲み屋で乾杯をした日が強い記憶として呼び起されました。
今回はただの思い出話になりますが、
「ずっと頑張っていると良いこともあるよ。」
という一例のような趣向で書いていこうと思います。
TEENAGE FANCLUBとの出会い
初めてTEENAGE FANCLUB(以下TFC)を聴いたのは私が17歳くらいだった1995年、アルバム『Grand Prix(グランプリ)』でした。
オアシスやオーシャンカラーシーンにヤラレていわゆるUKロックを意識的に聴き始め、そこから色々なバンドを探している中でリリースされた作品で、まだ自分の好みを自覚していなかった当時、「俺ってこういうのが好きなのかも。」と初めて意識させられました。
まだ聴いてきた音楽もそう多くはなく、知識も人生経験も少ない10代の頃ですから、「ここが良い!」とロジカルに何故好みだったのかは分かりませんでしたが、その後音楽を聴いていく中でTFCはかなり大きな基準や目安になったと思います。
レコード屋やDJ活動からの繋がり
いち音楽ファンから、レコード店勤務をした事が音楽に関わる仕事のスタートだった訳ですが、そのあたりの流れは以下の記事で触れたのでそちらの参照を。
個人事業主として渋谷に小さなレコード店をオープンし、並行して海外のロック系アーティストをメインとしたDJ活動も活発に行う中で、いくつかの出会いがありました。
福岡を拠点にオフィスグラスゴーという、グラスゴーのアーティストの招聘や紹介活動を行なっているYさんと知り合い、グラスゴー大好きだった私はYさんの招聘するグラスゴーのバンドの来日公演のアフターパーティーや東京公演をやらせてもらったりするようになっていきました。
小規模とはいえ、レコード店という拠点を持っていた事や、海外アーティストを好む層にリーチする安定した集客力のあるDJイベントを行なっていた事が、そういった案件を振ってもらえる事に繋がった訳です。(継続は力なりですね。)
待望の対面となったノーマン・ブレイク来日企画
その後はグラスゴーバンドの他にも、UKロックバンド「HAVEN(ヘイヴン)」や、NYのシューゲイザーバンド「Asobi Seksu(アソビ・セクス)」など、個人レベルでいくつかの海外バンドの来日公演やアフターパーティーに関わる中、いよいよその時が来ました。
TFCのノーマン・ブレイクと、GORKY'S ZYGOTIC MYNCI(ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキ)のフロントマン、ユーロス・チャイルズのユニット「JONNY(ジョニー)」の来日公演がオフィスグラスゴーの招聘により決定したのです。
東京公演は渋谷WWWで行われる事が決定し、サポートアクトを探しているという相談を受けました。
候補バンドとして、COMEBACK MY DAUGHTERS(カムバック・マイ・ドーターズ)が挙がり、元々は好きで聴いていたファンだったのですが、その後メンバーになった小坂裕亮くんと友人だった事もあり、メンバーと交流を持たせて頂いていたので、私の方で出演相談を行う事になりました。
セットチェンジなどの都合もあり(メンバーのスケジュールだったかな。。?)、高本さんとCHUN2さんの2人編成で出演を頂いたのですが、海外と日本のフェイバリットアーティストが自分を介して共演し素晴らしいステージを作ってくれた事は、非常に大きな満足感とこの業界での仕事のやりがいをもらいました。
加えて、JONNY東京公演のアフターパーティーも同日深夜に主催させていただける事になります。
※↑は当時の記事
ノーマンがDJをするのはこの日が初めてだったそうで、2枚のCDRにたくさんの曲を詰め込んでDJブースに立ってくれました。
(ちなみにそのCDRは置いて帰ってしまったんで、いまだに私の自宅に保管してあります。笑)
この日DJ出演していただいたサニーデイ・サービスの田中貴さんも、オフィスグラスゴーさん経由でご紹介いただいたきっかけで、以来何度もDJでご協力頂いていて、本当に優しくカッコイイ人で勝手に兄貴とリスペクトし続けています。(多くの出会いに恵まれている事に感謝です。涙)
基本的にアーティストからサインをもらう時は、”自分が主体となってご一緒した場合のみ”というルールを決めているので(トム・ヨークが新宿のビームスで買い物していた時は唯一禁を破ってサインもらおうとしましたが。苦笑)、そこまで数多くは手元にアーティストのサインを持っていないのですが、この日はしっかりとレコードにサインをしてもらいました。
ただ、この日はライブ本番もアフターパーティーもかなりバタバタしたスケジュールだったので、ほとんど会話をする事も写真を撮ってもらったりする時間もありませんでした。
数ヶ月後のノーマン・ブレイクとの再会
JONNY来日公演から確か3ヶ月ほど経ったある日、オフィスグラスゴーのYさんから電話がありました。
「今、渋谷でノーマンと二人で飲んでいるんだけど、八木橋くん(私)来れない?」
というまさかのお誘い。
この時は渋谷のclubasiaというライブハウスに勤めていたので徒歩数分の場所。
仕事中でしたが、「すぐ行きます!」と食い気味に伝えてその場所へ向かいました。
悲しいかな、私は英語がかなり不得意なので、Yさんに
「この前のライブで関わってくれた人だよ。覚えてる?」
みたいな感じで改めて紹介をしてもらい、数ヶ月越しの乾杯をさせてもらいました。
※2011年の渋谷某所でのノーマンと私
仕事中に抜けて出たので長居はできませんでしたが、会話の中で年齢を聞かれたので「33歳だよ。」と伝えると、
「俺は45歳だから、33RPMと45RPMだな!笑」
というレコード好きっぽいユーモアを言ってくれた事が、なぜだかとても印象に残っています。
こういった仕事を続けていると、アーティストとの接触願望は年々無くなっていきますし、そのほうが業務上向いていると感じる面も多々あります。
しかしながら、音楽が好きで始めた仕事であれば、時には純粋なファンに戻れる場面はモチベーションのひとつとして悪い事はないはずです。
一般的にはそこまで有名でもビッグな存在でもないかもしれませんが、TEENAGE FANCLUBは自分にとってはずっと一番のバンドで、いつ聴いても初心にかえらせてくれる無二のバンドです。
今回はただの思い話ではありますが、そんな風に、「続けていると時には、こんな形のご褒美や喜びもありますよ。」というお話でした。
ではまた◎
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