ひとくちに"音楽"と言っても、多様なジャンルが存在します。
このブログで"音楽"や"音楽業界"と書く場合、基本的には"ポップ・ミュージック"の事を指しています。
現在のコロナ禍において顕著ですが、それ以前から長らく、ポップ・ミュージックやそれに伴う音楽業界は、国や政府、または一部の大衆から軽視される傾向が強いと感じています。
音楽は文化だという事は、多くの人が認識するところではあると思いますが、厳密に言うとクラシックや伝統音楽は文化で、ポップ・ミュージックはサブカルチャーだと認識されているのがその理由だと考えています。
この事が過渡期にある音楽ビジネスにおいて、いくつかの問題も引き起こしているようにも私は考えています。
今回は、そう感じるのは何故なのか?整理していければと思います。
【目次】
ポップ・ミュージックとは?
その源流
ポップ・ミュージック(英: Pop music)とは、1950年代から1960年代にかけて西洋でロックンロールから派生して現代的形態で始まったポピュラー音楽のジャンルの1つ。「ポピュラー音楽」と「ポップ・ミュージック」はしばしば同義で扱われ、「ポピュラー音楽」は人気がある全ての音楽を指すと定義される。
Wikipediaには、このように記してあります。
広義に考えると、それ以前のブルースやカントリーミュージックまでをその範疇とすることも可能かと思います。
この記事では、”業界”という角度から語る為にわかりやすく、ザ・ビートルズ以降の大衆向け音楽をポップ・ミュージックとして捉えたいと思います。
何故なら、現在まで続いている音楽ビジネスというものは、60年代のザ・ビートルズをはじめとしたロックバンドにより作られたモデルを元にしていると考えている為です。(その一端はエルヴィス・プレスリーとも言えますが今回は分かりやすく)
もちろん、それ以前にも"大衆が楽しむ為の音楽"は存在はしていました。
ですが、ローカルに根ざした"大衆"であることは否めないと思います。
現在まで続く、「オリジナルの音源をセールスし、ライブツアーでそのプロモーションを兼ねた収益化を図る」という大きなビジネスモデルの源流はザ・ビートルズにあると言って大きな差し支えはないはずです。
また、今では当たり前である、"演奏者自らが作曲を行う"というシンガーソングライターという行為そのものも、彼らにより広く浸透した点も重要であると言えます。
現在までの流れ
ザ・ビートルズ以降、60年代を彩ったブリティッシュロックをはじめとするロックバンドの隆盛、パンク、ヒップホップ、テクノやハウスミュージック等々、多くの音楽ジャンルが生まれました。
大きな文脈で言えば、80年代のMTV全盛時代が商業音楽としての一つのピークであるでしょうし、日本で言えばそのピークは90年代後期のミリオンヒットが連発されていた時代に当たるでしょう。
その理由が、インターネットの普及や音楽サブスクリプションなのかはここでは言及しませんが、いずれにせよ、2000年代に入って以降、華やかで輝かしい音楽業界というイメージは減退傾向にあると思いますし、そう感じている方も多いと思います。
逆に、それまでは長年、右肩上がりの業界であったとも言えます。
軽視と感じる理由
根強いネガティブイメージ
「ロックは不良の音楽」
そんな時代は確かにありました。
私は1978年生まれなのですが、親の世代にはその認識はまだあるように感じていました。
ですが、流石に現在ではそのような偏見はほとんど無いですよね。
では、今も残るネガティブイメージとは何があるのでしょう?
まず、長らく私が気になっているのが「軽音楽」というワードです。
"軽音楽部"ありますよね。
軽音楽は、日本ではクラシック音楽以外のポピュラー音楽全般を指す。
Wikiにはこうあります。
ちょっと言いがかりというか気にしすぎに思われるかもしれませんが、"軽"が非常に気になります。。。
"かるい"音楽ってなんやねん。。と。
まあ、それはそれで良いのですが、誰が名付けたかは分かりませんが、この"軽音楽"という呼称に、ある種私が感じる"軽視"の全てが詰まっているようにも思っています。
尊敬や尊重をしている場合に、"軽"という言葉を使うものなのか?
おそらく、クラシックと比べ、演奏を行う際の人数編成の少なさを指しての"軽"であろうと推察しますが、"軽"という言葉を選ぶ必要ありましたかね。。
この"軽音楽"に引っかかっている人間は私くらいかもしれませんが(汗)、裏方よりも特に演者の方には、軽視されていると感じているアーティストは少なく無いように感じています。
また、自分の子供にピアノやバイオリンを習わせる親は沢山いますが、エレキギターを習わせる親はあまりいません。
「将来ピアニストになりたい!」
と子供が言えば親は喜びそうですが、
「トップDJになりたい!」
と子供が言ったらどうでしょう?
大半の親が、鉄壁のディフェンスで阻止したくなるはずです。
これって、仕事になるかどうかではなく、社会的ステータスに起因すると思いませんか?
評価基準の違い
ポップ・ミュージックの価値や評価とはなんでしょうか。
クラシックや伝統音楽の場合、"コンクール"や"賞"でその価値や評価を競うのが通例であると思います。
ポップ・ミュージックの場合、その名の通り、大衆の一人一人がその評価や価値を決めていると言えます。
無論、ポップ・ミュージックにも"賞"は存在しますし、受賞をすれば一般的な評価が上がる事もありますが、そんな誰かが決めた賞に頼らずとも、個人個人が好きなアーティストや楽曲を選んで聴いています。
これがややこしいところで、コンクールや賞には分かりやすい"権威"が存在します。
ですが、大衆の評価には権威は存在しません。
仮に何百万枚のCDセールスをしても、何万人のライブ動員をしても、ステータスにはなりますが、権威とは異なります。
「たくさん売れたものが良いっていうなら、マクドナルドが世界で一番美味しい食べ物って事になっちゃうよ。」
確かこんなような事を甲本ヒロトさんが何かで言っていました。
何かの記事でも一度マーシーの引用をしましたが、好きなもので汗。
その通りなのです。
セールスというのは、ある種多数決に近く、民主的な印象はありますが、芸術の場合は票を集めたものだけに高い評価は与えにくいのです。
そもそも、
「音楽を聴く人は沢山いますが、音楽を熱心に聴く人は多くありません」
こだわりが無い人は、マヨネーズやソースがたっぷりかかっていれば美味しいと言いますが、グルメな人は別の意見を言います。
そして、国や政府は音楽に関してはグルメではありません。
グルメでは無いので、グルメな人の意見として、権威を求めるのです。
縮小した業界の直面する問題点
権威なき大衆音楽
クラシックや伝統音楽にある"権威"がポップ・ミュージックには無い。
という事を前項で書きました。
一方では、その事こそが素晴らしい部分だとも思っています。
数人の審査員のような人に評価されずとも、大衆の一人一人に響けば価値を証明できますし、だからこそ多様性のあるアーティストやジャンル、楽曲が生まれたとも言えると思います。
ポップ・ミュージックはカウンターカルチャーであるとも言えますから、それでこそです。
ただ、権威が無い事による懸念が1点あります。
関心が無い人には全く理解を得られない。
という事です。
先に書いた通り、音楽を全く聴かない人はあまりいないと思いますが、熱心に聴く人はそう多くは無いと思います。
当然、熱心に聴く人やその演奏者の気持ちは、興味の無い人は分かりません。
人それぞれ、何に関心を持つかは自由ですが、こと政府や全体的な民意に目をやると、この事がポップ・ミュージックにひとつの影を落とします。
権威のみに与えられる援助や評価
「ポップ・ミュージックはサブカルからカルチャーになるべき」
この数年、このような事を私は近しい人に話してきました。
理由は、音楽ビジネスが縮小、もしくは多様化しているからです。
小室ファミリー時代のようなミリオン連発の時代はもう絶対に訪れません。
誰もが知るスター・アーティストも年々生まれにくくなるはずです。
自ずとビジネスとしても減退の一途を辿るでしょう。
ビジネス面で減退をするという事は、音楽のみで生計を立てれる人間の数が減るという事です。
となれば、ミュージシャンになりたいという人の数も減るでしょうし、ミュージシャンをやるにしても、別の仕事をやりながら音楽に取り組む事になります。
関わるスタッフの数も減っていきます。
そんな状況で、これまで同様のクオリティと多様性のある音楽が生まれるでしょうか?
私たちがこれまで同様に満足できるエンターテインメント足り得るでしょうか?
すでに出来上がっているビッグアーティストはまだ、ファンからの直接課金などで延命はできると思っていますが、音楽業界の礎となるのは、まだ見ぬインディーアーティストです。
その裾野の広さに、これまでシーンや業界は支えられてきました。
最も恐るべきは、
「音楽なんてやったって何にもならない。」
という空気が生まれる事だと思います。
奇しくも、コロナ禍における現在が分かりやすいですが、ポップ・ミュージックは政府や民意としては冷遇されていると言えます。
減退するポップ・ミュージック業界を政府になんとかして欲しいとは考えていません。
ただ、文化に対しては多くの助成団体が存在します。
その対象のほとんどが、クラシックやオペラ、美術や演劇です。
ポップ・ミュージックは対象外とは明記されていませんが、実際は対象外であるものが大半だと思われます。
「サブカルからカルチャーになるべき」と唱えた理由がコレです。
ビジネス規模が縮小してるのであれば、助成金などの支援の対象に入るという事も必要になってくるでしょう。
直接的な支援だけでなく、こういった財団法人による支援の対象になる事で、ポップ・ミュージックに権威を与えます。
政府や多くの一般大衆に、文化(カルチャー)として受け入れてもらえるというわけです。
権威があれば、興味のない人を説得する材料にもなります。
興味のない人に「大切にした方が良いのかな?」と思ってもらえます。
政府も、文化は把握していますが、サブカルチャーは把握していません。
だからこそ、星野源さんの動画で首相があれだけ無神経な行動をしたのでしょう。
ですが、あの首相の動画もリプライ欄を見ると、
「国民の為に頑張って働いてくれているのだから、たまには息抜きしてください。」
のような意見も同じくらい多かったのです。
驚きましたが、確かにそうかと思い出しました。
我々音楽ファンはどうしても忘れてしまいますが、我々のような熱心なポップ・ミュージック・ファンはマイノリティです。
一般の方の多くは、ポップ・ミュージックに強い関心を持っていません。
持っていないのなら、"保護すべき文化に加わる"ことで、認識してもらう必要を感じたというわけです。
まとめ
話を分かりやすくするため、全体的にやや極論気味に書いてきました。
相変わらず走り書きなので、まとまりがあまりなく読みにくかったらすみません。。
問題点を簡潔にまとめるとすれば、
「ポップ・ミュージックは政府や一般大衆の視界に入っていない」
「視界に入ったとしても理解されないので、興味のない人には権威で理解を得るしかない」
といったところでしょうか。
コロナ禍における現在、音楽業界は未曾有の危機に直面しています。
特に、会場やプロモーターといったライブ周りの業種の何割かは倒産・廃業となるでしょうし、レーベルや事務所にも余波として大きな影響が出るかもしれません。
支援はおろか、
「ライブハウスやイベントには行かないでください」
と総理大臣が発言してしまうのが現実です。
ここで書いた【サブカルチャーからカルチャーへ】が実現したとしても、その対象はあくまでアーティストです。
業界への被害は免れないでしょう。
ですが、アーティストさえ生き残っていれば、付随するスタッフや会社も再起が可能です。
これまでは
「好きな人だけが分かっていれば良い」
でも問題はありませんでしたが、それだけでは立ちいかないタームに入ったと感じていた為、今回このような題材を選びました。
たかだか60 年程度、なんといってもまだザ・ビートルズのメンバーがまだこの世にいるくらいの短い歴史です。
その立ち位置や社会的評価は、これからいかようにも変わっていくのは間違いないと思います。
それが良い方に変わりますように。
では、また◎