TINY MUSIC LIFE。
ブログに限らず、モノのタイトルや名前をこれまで無数に付ける機会があり、その度に頭を悩ませてきたのですが、齢41歳の今日現在、弾き出されたネーミングについての結論は
「しっかり取り組んでいれば名前はよほどおかしなものでなければ、あとからしっくりくる。」
というもの。
つまり、適当です。
とはいえ、タイトルに「自己紹介」とも記しているので、もう少し詳しく書くと、「TINY」という単語は、2002年から2011年(かな?)の間、個人事業主として一人で運営していたレコードショップ(アナログ盤専門店)の屋号から取っています。
音楽業界に入ってから今日に至るまで
若かりし10代の頃
もう少し遡ると、もともとファッション系の専門学校に通い、成人する手前くらいまでは、アパレル系の仕事をしておりました。
音楽も早い段階から好きでしたが、それ以上にファッションにお熱だったのです。
中学生1年生の頃にザ・ブルーハーツに熱中し、その後OASIS、BLURをはじめとするブリットポップや渋谷系などにたいそう熱狂し、アナログレコードを買い漁るようになりました。
17歳くらいになると、西麻布や恵比寿、渋谷、新宿などのクラブイベントに出入りしたり、DJやDJイベント主催をするような結構な音楽好きになっていきました。
とはいえ、DCブランドブームや裏原宿ブームの真っ最中でもあり、ファッションの方が頭の中を支配していました。
※リアルタイムの方には分かるかと思いますが、当時の"ファッション"と"音楽"って、めちゃくちゃリンクしていたんですよね。
ほどなくして、アパレル系の専門学校へ行き、アパレル系の仕事に就く。というファッションの道を選んではみたのですが、そんな中でひとつの衝撃が。。。
国内ロックフェスの元祖、
フジロックフェスティバルの3回目、苗場では初開催となる1999年のラインナップ発表を見た私は、友人と狂喜乱舞し、テントを抱えて3日間フル参戦を果たすのでした。
まだ10代で頻繁に海外アーティストのライブに行く機会がなかった自分にとって、同時多発的に大好きな海外バンドがショウをカマしまくるフェスティバル原体験は、即座に、
「音楽の仕事しよう」
と決意させるに充分なインパクトでした。
レコード屋時代
すぐさま、大手中古レコード店でアルバイトをはじめ、休憩時間にもメシも食わず別のレコード屋に走り、仕事後や休日もレコード店をハシゴするような正しくヴァイナルジャンキーなライフに突入するのでした。
正確に記憶できていないのですが、そんな生活を3年くらい過ごしたのち、大量に積み上げられた自宅のレコード棚を眺めていると、ふとある思いがよぎりました。
「売るほどあるな。。。」
当時レコードやCDを販売する店舗や方法としては、レコード店として実店舗を構えるか、メールオーダーしかなく、地元の音楽仲間に
「メールオーダーの店をやろうかと思う」
と打ち明けてみました。
すると予想だにしないレスポンスが友人の口から放たれました。
「オンラインショップやればいいじゃん。ホームぺージ作ってやろうか?」
と。
当時、まだインターネットもダイアルアップ接続で、オンライン通販はあるにはあるけども、相当アンテナビンビンの一部の人しか利用はしておらず、PCの普及率もおそらく10%いってるかどうか。PHSとか使ってる時代だった気さえします。
Googleもうっすら認知されだしたくらいで、みんな”ゴーグル”と読んでいたくらいのレベルでネット童貞でした。
っていうか私自身、
「オンラインショップって何?」
って感じだった気さえします。
あれこれと尋ねてみると、どうもその友人は大学でプログラミングとかを専攻していたようで、簡素なサイトであれば作れるとの事。
正直しっかり理解しきっていない状態でしたが、作ってくれるというので、その言葉を信じてお任せし、ホームページの完成を待ちました。
運用者にしか閲覧・操作のできない管理画面とやらがあり、そこで商品情報の入力はできたものの、その他のページは全てhtml手打ち(ドリームウィーバーのようなソフトもなかった)で更新をするという、今考えると壮絶にメンドクサイ設計ですが、優作よろしく「なんじゃこりゃあ」状態、「新世界の扉はもう開いているからね!」と関ルバーグ脳内再生余裕状態でした。
商品の代金は全て郵便局の代金引換便、今のように簡単にはカード決済はできないハードモードな時代背景でしたが、若さゆえの勢いなのか、多分「メールオーダーでレコード売りたい」と打ち明けてからオープンまで2ヶ月もかからなかった記憶があります。
ようやくここまで辿り着きましたが、本ブログのタイトルにある"TINY"は、この時の屋号、TINY RECORDSから取っているという訳です。
これは珍しくしっかり覚えていて、2002年9月にオンラインショップはオープンしました。
その後、昼は下北沢のローカル&老舗中古レコード店でアルバイトしつつ、夜は自宅でオンラインショップ運営。という日々をこれまた3,4年過ごし、オンラインショップの売上も思いのほか(?)順調で、なかなかの勢いで知らぬ間に貯金も数百万円貯まり、2005年か2006年(過去のこと全然覚えてないもので。。)に渋谷の宇田川町に実店舗をオープンするまでになりました。
並行して、98年くらいからDJ(海外のロック系)もずっと継続して続けていて、そちらはそちらで末席ながら、フジロックやサマソニなどの大型フェスでもDJさせてもらえたり、毎月3桁は動員のあるようなイベントを主催したり、地方からDJで幾度も呼んでもらったり。と今にして思うと人生最初のピークはこの頃だったような思いがあります。
が、人生山あり谷ありで、そう上手いこといきません。
海外のインディーロックのアナログ盤専門店。という超絶ニッチな業態で運営をしていたTINY RECORDS。
THE STROKES、THE LIBERTINESで大爆発したインディーシーンも徐々に陰りが見え、80's、90'sのレコードを漁る紳士達の平均年齢も上昇、売上はダイナミックなカーブを描き地を這いだし始めました。
ただ、これは言い訳でもなんでもなく、実店舗のオープン前から近しい人には話していたのですが、大学を出て経営の勉強もした訳でもない私は、お店を運営するという勉強を学校で学ぶのではなく、実際やってみた方が早いし身になるし、下手したらお金もかからないと思い、赤字になる経営状態になったらすぐに撤退するつもりでいました。
とはいえ、いざお店を構えて営業をしてみると、お店に対して思い入れも生まれてしまい、いささかの悲しみが去来したのは事実ですが。。。
ライブハウスと音楽メディア立ち上げ期
さあ、次はどうしよう。
と考えた私は、音楽の仕事は続けたいけれど、"音楽ソフト販売で生計を立てるのは今後は難しい"という確信のもと、時代が変わっても最も無くなる事がない仕事として、"場"、で働いてみようと決心したのでした。
さて、音楽ソフトの販売ではなく”場”を選ぶとして、その”場”とは?
先に書いた通り、DJやイベント主催はずいぶんと長い間(この時点でも10年以上)やっていたので、真っ先に思いつくのはクラブ/ライブハウスでした。
当初は、そういった会場でイベントを作る(ブッキングをする)といったことはあまり考えておらず、やはりまた店を、今度は人が集まれるバーのようなものをやりたいな。と思っていたので、「お酒の作り方を覚えたいな。」という軽い動機でライブハウスで働く事にしました。
確かこの時既に29か30歳くらいだった気がしますが、がっつり下働きもしつつ、お酒の作り方もばっちり習得。
ご存知の方も多いかと思いますが、ライブハウスってとても薄給です。
が、たった2年ほどの完全個人事業主生活でしたが、それを経験したものだから、
「とりあえず出勤すれば必ずお金がもらえるって最高に楽でいいなぁ。」
とか思っちゃっていて、振り返るとこの時期は正直あまり建設的なマインドではなかったかと思います。
なまじっか、プライベートで続けていたDJやイベント主催の動員もこの時はまだ多かったっていうのも良くなかったのかもしれません。というか、そっちが楽しかったんですよね。多分。
お酒の作り方も体得!ってタイミングで、自分主催のライブ&DJイベントをその職場のライブハウスで開催するようになったのです。
海外ロックのレコードは売れなくなっていたものの、それらがかかるDJイベントや、それらに影響を受けた日本のインディーバンドの人気はまだまだ高く、主催イベントも毎回大盛況。
開催頻度も月に3、4本(更にプライベートでも他の会場でイベント主催してました)と増えていきました。
おそらく2、3年くらいはそんな時期が続いたと記憶していますが、毎日いろいろなバンドを観たり接したりしていると
「なんでこんなカッコいいバンドが埋れてるんだ!?」
と思うのがライブハウス・スタッフのツネ。
これまたプライベートで、バンドのスタッフをやったりもこの頃始めました。
バンドのスタッフをしていると、作品をリリースしたり主催イベントをやる時などにプレスリリースというものを音楽メディアに送ったりするんですね。
が、いくら送ってもレーベルも事務所もないインディーバンドの情報っていうのは掲載してもらえず、そこでも私は「売れてるバンドしか掲載しないで、こんなに良い音楽を無視するなんてけしからん!」などと鼻息を荒くしていました。
そこで私が取ったのは
「載せぬなら、作ってしまえ、ウェブメディア」
という比較的、信長タイプの発想でした。笑
※今はだいぶインディーに優しくなってきていますが(というか垣根が無くなって来ている)、 この頃はまだそんな感じでした。
自分が主催していたイベントのDJ、スタッフや、職場のライブハウスの後輩を有志のスタッフとして協力してもらい、WEBメディアの制作に着手しました。
デザイン系専門学校のティーチャーをしているスタッフの孤軍奮闘もあり、ロゴやサイト、告知用のデザイン物など着々と仕上がり、あとはローンチを待つばかり。
イベントも好調、素晴らしい日本のインディーバンドもたくさんいる、あとはこれをもっと広く伝える事さえできれば!
そんなガッツ溢るるモチベーションでした。
また、「最低限のマネタイズができ始めたら、今のライブハウスを辞めて、このメディアを仕事の軸にしよう」とも考えていました。
そんな矢先に、急転直下のお達しが、、!
音楽プロモーター・イベンター期
やれる事もやって学べる事も学んで、やりたい事やるべき事も定まり、「いざ行かん」というタイミングで、とあるお声がけをいただく事に。
社名は伏せますが(別に隠していないんですけどね笑)、
コンサートプロモーター/イベンター会社へ来ないか?
というものでした。
ではあるのですが、これまでレコード屋やライブハウスなどで培った事が直接活かせるようなセクションではなく、WebサイトやSNSなどを主に運用するセクションへの配属というお話。
先にも書いたとおり、もともとオンラインのレコードショップから始まった音楽関係の仕事ではありましたが、Web制作やデザインの勉強をしてきた訳でもなく、ある程度の知識はあるものの、最低限&我流です。
なので最初は
「ありがたい話ですがちょっとできないです」
と伝えました。
既に走り出している音楽メディアもありましたし、続けているライブイベントもあったのもあり。
ですが、
「仕事はやりながら覚えてくれればいいし、イベントなども続けて構わない」
という事を言っていただいたので、このお話を受けることにしました。
受ける事を決めた大きな理由としては、バンドのスタッフをしていた中で
「ある程度の資金力がないと、いくら情熱があったりアイデアが優れていてもバンドの(大きな)力にはなれない」
と強く感じでいた事が大きかったです。
なにしろ自営業で実店舗を出している時はお金が無かったですし、ライブハウスも薄給でしたから。。
そんなわけで、音楽メディアを立ち上げるというタイミングと重なるようにして転職もしてしまう。という急転直下な事態となったのでした。
職業としてはプロモーター、音楽メディアの方は有志のみんなといわゆる非営利としてここからしばらくやっていく形。
とはいえ転職先で不慣れな状態、立ち上げたてのメディア運営というのは予想以上のカロリー消費。
半年くらいはかなり時間的にシビレがありましたが、特にメディアのほうは楽しさしかなかったので、辛いといった感情は一度も持たなかったと記憶しています。
メディアと連動して、サーキットイベントを開催したり、たまたま「音楽バーやっている店が週末間貸ししたい。」という話が転がり込みDJバーの運営を週二日やるようになったり、レーベルとしてCDやレコードの制作をはじめたり、とやりたい事は全てやれていたので。
しかも、一緒に動いてくれるのは親しい友人や後輩ばかり。というやりがいの宝石箱状態でしたから。
メディアの方は、
「素晴らしい音楽を鳴らしているのに、インディペンデントだというだけで、メディアや企業が取り合ってくれない。ならば自分でメディアを作ってしまえ。」
という立ち上げ時の目的の通りの目利きでサイト作りを行い、反面これは当然有名なアーティストをほぼ排除した作りなので、広告出稿などは見込めません。
完全なアーティスト支援の為だけの活動です。
サーキットイベントは500〜1000人規模のものを2度ほど、それ以外にもライブイベントは数えきれないくらいやりましたが、概ねうまくいっていました。
DJバーの方だけは、売り上げは良かったのですが、肝心な間貸しをしてくれているお店自体が「売り上げ不振で店を閉める」との事でたしか半年弱くらいで終了となってしまいました。
レーベルではCDシングルを1タイトル、7inchレコードを2タイトルリリースしました。
他にもフード出店でいくつかのイベントやサーキットイベントに出店したり、グッズを作ったり、ラジオにちょこちょこ出させてもらったりと、ちょっと思い出しきれないくらいアレコレと動き周りました。
この間おそらく2年ちょっとくらいだったと思います。
2年も過ぎると本業であるプロモーターの仕事のほうが、「慣れてはきたけど今度は責任ある業務が増えてくる」問題に苛まれるように。。。
肌感でしかないですが、完全に音楽の事を何にもしない休日というのは数年間無かったと思います。
繰り返しになりますが、時間がない、休めないというのは全く辛くないのですが、例えば「イベントを開催したいけど、当日いきなり仕事が入る事がある」などの物理的にどうしようもないケースが出てくるようになり、徐々に音楽メディアやその派生のコンテンツに時間が裂けない状況に追い込まれました。
そして、協力してくれていたスタッフも、別のしっかりした音楽系の会社に就職が決まったりもしだしたりなどで、私自身だけでなく、全体的に手薄になっていたので、ゆっくりとフェードアウトするように、音楽メディアのウエイトは減り、本業のプロモーターの会社のウエイトが強まっていくのでした。
このプロモーター会社では、"デジタルコンテンツの管理やそれを使用したプロモーション業務"を入社から4年強ほど担当しており、平常はいわゆるデスクワークを。音楽フェスティバルは土日祝日に開催されることがほとんどなので、フェスなどがある時にはいわゆる現場稼働。という日々でした。
その後、部署移動でライブイベントの制作業務や、アーティスト管理を行うセクションへ配属となるのですが、この頃には完全に音楽メディアの方はストップしていました。
なにしろ、この部署になってからは、平日はデスクワーク、土日は現場ワーク。ということで、休みが平均して4回ほど、長期の現場仕事になると2週間以上現場泊まり込みで"20数連勤"という事も珍しくはなかったので。
音楽メディアやイベント主催、DJ活動などはこの頃には完全にストップしており、DJ仲間から時折、「DJする時間さえないってことはないのでは?」などと言われた事もありますが、あるはずもないです。
これまで、24時間365日、音楽の事ばかりに時間を使い続けてきた自分でさえ、"時間がない"と感じていたのですから。
これだけ書くと、
恐ろしいほどの時間を会社に奪われている。
だけなので、辛そうに見えるかもしれませんが、辛いとか楽しくないという事はなかったです。
一般的な他の会社同様に、勤続年数が増せばそれだけ裁量権は増えていきますし、社内でも後輩が増えてくるので、基本的には社歴は長くなるほどに、居心地もやりがいも増していきます。
ただ1つだけとても大きなネックを日増しに感じてはいました。
自分のやりたいこと・そして得意な事と、会社の構造がフィットしない
という事です。
どういう事かと言うと、自分のやりたい事というのは
「評価されて然るべきと感じたアーティストを支援したい」
という事。
これはレコード屋を始めた頃から同じで、「7inch1枚しか出していないような海外のインディーバンドでも、素晴らしいものは日本で少しでも知ってもらいたい」と努力をしていました。
ライブハウス勤務時代や音楽メディアを立ち上げた時も、「日本の才能あるインディーバンドの認知度を高めたい」というモチベーションで動いていました。
得意な事、というのは一言でいうと、"企画の立ち上げや実現までのフロー作成"のようないわゆるゼロイチの業務だと自己分析していました。
では、それが何故フィットしないと感じたかと言うと、コンサートプロモーターというのは、良くも悪くも非常に閉鎖的で保守的な業界・業種です。
そしてそれは大きな会社ほどその傾向は強いです。
大きな会社というのは当然、それ相応の収益を上げないと人件費など固定費さえ捻出できないので、大きな収益の上がる企画やリスクの少ない企画を好みます。(一般企業でいう本当に大きな会社であれば、逆に新規事業に投資もできるのでしょうが)
経営目線で考えれば当然ですよね。
当然ではあるのですが、そう考えた時に、私のやりたい事を当てはめるとどうでしょう。
いずれも"売れていないアーティスト"を対象にしています。
得意な事はどうでしょう。
新規企画というのはハイリスクで堅実な収益は見込みにくいです。
また、誤解を恐れずに言うと、そもそも"コンサートプロモーター"というのは、"アーティストを売る仕事"ではありません。
チケットが期待通りに売れる見込みの立つ、"既に人気のあるアーティストを扱う仕事"と言い換えることができます。
チケットの売れる見込みのある公演の主催や業務請けさえできれば、ローリスクで収益化が可能なビジネスモデルです。(その究極はプレイガイドとなるでしょう)
このある種の安パイさが、保守的である所以でもあるかもしれません。
ですので、この業種に関しては、本筋の公演業務がうまくいっていれば、新規事業やアーティスト支援に資金や労働力を使う必要が、収益構造上あまり無いのです。
これだけの説明ではピンとこない方も多いかもしれませんが、概ねそんな理由によるズレを日増しに感じていきました。
加えて、レコードなどのパッケージ音楽ソフトの陰りを感じ、ライブハウスやコンサートプロモーターなどの"場"へ職業をシフトした時のように、今度はこの"場"も形を変え、次のモデルへと変わる予感も強く感じ出していました。
その予感についてはまた今度書きますが、 そんな理由もあり2019年に退職をすることを決め、現在はフリーランスとしてこうして今ブログを書くに至っているのでありました。
(特に不満があった訳ではないので、会社員でいた方が全然楽だったのですが汗)
一筆書きのような形でかなり駆け足にこの"自己紹介"は書いている為、今後このブログでも細く事例と照らして深掘りしてご説明していければと思います。
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